秋葉原の殺人事件から1年が経過し、マスコミがアキバでなにやら酷いというのがとてもいやな感じなのだけども、それはさておき、この事件とアキバと社会またはサブカルチャーとその他の関係性について考えるというのは重要なことで、避けられない問題です。(準児童ポルノの問題もありますので、この事件にとどまらずに考える必要がある問題となってきています。)

1年前に起きた殺人事件とサブカルチャーの関係についての考え方として、以下の動画にあるような意見がぼくとしてはしっくりきます。





東氏(あずまん)が「この国で社会や政治について本気で考えようとすると絶望しかない」と言っているけど、この殺人事件の容疑者は社会について本気で考える必要に迫られた人だったのでしょう。





斎藤氏の「誰でもよかった」は「殺す相手は誰でもよかった」と「自分ではなく誰でもよかった(誰もがなしえた)」の二重の意味に解釈できるという匿名性の観点からの考察も面白いです。社会・システムとの関係性において、名前を得るものと名前を得ないものの格差が生じ、名前を得ないものには発展・成長の途すら開かれないという名前の格差という概念も面白いですね。

いくつか動画や記事を読んで、この事件をアニメやゲームと結びつけて考えるという胡散臭い議論が意外となされていないことに安心しました。